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9月25日の日本民話
クジラ長者
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むかし、深沢儀太夫勝清(ふかざわぎだゆうかつきよ)という、クジラ捕(と)りの名人がいました。
勝清はクジラ捕りで大金持ちになり、野岳湖(のだけこ)をつくったことで知られています。
その勝清の孫の与五郎(よごろう)も、おじいさんに負けないほどのクジラ捕りの名人で、いつも、
「クジラがたくさん捕れる方法は、ないじゃろうか?」
と、考えていました。
ある日の事、クモの巣に一匹のこがね虫がかかっているのを見た与五郎は、
「こんな細いクモの糸でも、大きなこがね虫がとれるのか。・・・そうじゃ、アミでクジラを捕ってみよう」
と、さっそく大きくて丈夫なアミを作りました。
このクジラをアミで捕る方法は大成功で、毎年、数百頭のクジラを捕ることが出来ました。
与五郎はおじいさんに負けないほどの長者(ちょうじゃ)となり、立派なご殿を建てました。
ある夜、一頭の母クジラが与五郎のまくらもとに現れて、涙ながらに頼みました。
「与五郎どの、わたしは子連れの母クジラです。お腹には、もうすぐ生まれる赤ちゃんもいます。わたしが捕まると、いまいる子どもも、もうすぐ生まれる赤ちゃんも死んでしまいます。どうかわたしを、見逃してください」
それを聞いた与五郎は、母クジラに言いました。
「わかった。あすは決して、子連れのクジラには手を出さないよう、みなに言っておこう」
しかし翌日、与五郎は子連れのクジラを捕らないように伝えるのを、うっかり忘れてしまったのです。
その日の夕方、子持ちクジラと子クジラが浜にあげられました。
それを見た与五郎は、大変かなしみました。
そしてその日からクジラが捕れなくなり、浜はすっかりさびれてしまいました。
元気だった与五郎は六十歳でこの世を去り、そして子孫には不幸が続いたという事です。
おしまい
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