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7月19日の日本民話
(7月19日的日本民間故事)
良寛 (健全普通話版)
良寬
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ある日の事、村から帰ってきた良寛は、お寺の縁側の床がふくらんでいる事に気づきました。
這天自村中回到自己寺廟裡的良寬、剛踏上這屋簷下的地板上時、就給發現了今天的這地板咋就似乎是有些突出的呀。
「おや? どうした事だ?」
哎呀?這是咋回事呀?
不思議に思った良寬が床下をのぞいてみると、なんと床下から一本の竹の子が生えていて、床を下から押しているのでした。
良寬現在這人也就很是納悶呀、連忙的又是跨下了緣側、腦袋對著地板下面就是一探、這下懂了、不就是一根竹筍在下面生了根、現在開始長到了都把地板頂住了嗎。
「ああ、これは大変だ!」
哎喲喂、這可大事不妙呀!
良寬は急いで物置へ行くと、のこぎりを持ってきました。
只見良寬這就是急忙一呼了之後、立馬就給跑到了儲物庫、在這裡呀是將一把鋸子給拿了出來。
そして、そののこぎりで竹の子を切るのかと思えば、なんと良寬は竹の子の真上の床を四角く切り抜いたのです。
而後來了、就是大家都以為良寬他會鋸掉竹筍的時候、其實他是把自己的地板給鋸了、剛好就是一個正正方方的孔洞留了出來給竹孫是探頭透透氣呢。
「これでよし。きゅうくつな思いをさせてすまなかったね。さあ、竹の子さん。遠慮はいらんから、ずんずんと伸びなされよ」
哈哈、這下總算是解決了、竟然是讓竹筍先生你在我的地板下受苦了這麼久我都還沒發現了、真是抱歉抱歉、但從今往後你可就不必再擔心、好好的長的高高壯壯。
良寬とは、こんな人物だったのです。
以上的這件事呢、也差不多就能夠反應出了這位良寬的其為人了。
さてこの竹の子は、それからも毎日すくすくと大きくなりました。
現在就說說竹筍先生它吧、從那以後頭還就真就是每天都在一個勁的快快長高呢。
「がんばれ、竹の子さん」
加油再加油、努力長起來呀、竹筍先生。
良寛は、毎日大きくなる竹の子を見て大喜びです。
良寬呢、他就是看到每日這樣長高的竹筍先生、歡喜的不行呢。
でもそのうちに、
可就是有天、新的難題它就是又出現了。
「いや、これはどうしたものかのう?」
哎喲、又不妙了、這下可該是叫我如何是好呀?
何と竹の子は、天井に届くまで大きくなってしまったのです。
要說這到底是發生了甚麼事、那就是竹筍先生它已經是長的太高了、現在不就連屋簷都是成為了它的一個新阻礙嗎。
「天井を切れば雨がもるし、かといって、竹の子を切るのも可哀想だ。天井と竹の子、どっちが大切かと言うと」
這我在瓦片上面開一個洞、到時候那再一下雨不就可要漏水漏大發了嗎、但就這樣忍痛砍掉了竹筍先生的話也是叫我於心不忍呀、到底在屋簷和竹筍先生之間我是要選擇何者才正確呢。
ちょっと考えた良寛は、物置からのこぎりとはしごを持ってくると、竹の子の周りの天井を四角く切り抜いてやったのです。
對於這事呀、良寬就是稍加思索了一下後、終於又是跑去了儲物倉取來了鋸子與梯要做出決定了、那麼現在的結果就已經很明顯了、良寬是爬上了梯子後又把自家的瓦片給揭了、同樣的、這次也是給竹筍先生開出了一個正正方方的孔洞讓人好透氣。
「さあ、もう安心じゃよ。竹の子さん、がんばれよ」
成啦成啦、這樣我就可以完全放下心來啦、竹筍先生、你也可就繼續加油吧。
おかげで小さかった竹の子は、立派な竹になりました。
就是這樣呀、本來是一顆小小的竹筍、而就是在良寬的栽培與悉心照料之後竟然是成為了一橷大竹。
でも雨が降ると天井の穴から水が入ってきて、お寺の床は水びたしになってしまいます。
可這樣一來真等天上下起了雨後、麻煩時也就來了呀、就是從那個屋簷開口的位置、雨水是從這裡給灌了進來、木質的地板上讓其浸了水變得是溼嗒嗒。
それでも良寛は満足げに、
可即便如此良寬還是一臉十分滿意的表情。
「なあに、雨でぬれた床は拭けばいい。それより竹さんが、雨をあびて喜んでおるわ」
管它的、地板上讓它淋點雨就淋吧、到時反正擦擦就又能好、況且讓竹子先生也淋淋雨、它也會很高興的不是嗎。
と、言ったそうです。
良寬就是這樣的說道。
※ 良寬(りょうかん)は、越後国(えちごのくに→新潟県)の名主の息子に生まれ、俳人でもあった父の影響を受けて、書や和歌、漢詩で名を広めた人物です。
良寬、其父為越後國望族、幼時因受身為雅士的父親影響、亦通詩書、後也在文學造詣上頗有名望。
この良寬は人付き合いが苦手で十八歳で出家したのち、約三十年もの間、全国を旅しながら修行を続け、そしてその後は故郷の近くの山寺で暮らしました。
然而因為性格上不善與人言談、些許孤僻、至十八歲時剃度出家、此後的約三十個年頭、良寬都是在全國各地四處奔走進行遊歷、但最後終還是還鄉迴歸了故里、選擇安頓在了山寺裡面的一家小廟。
これは、その良寬が出雲崎(いずもさき→新潟県三島郡)の山寺に住んでいた頃のお話です。
以上這一個小插曲還正是為良寬還鄉後、與出雲崎的一個山間小廟內所發生。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
良寛
良寬
ある日の事、村から帰ってきた良寛は、お寺の縁側の床がふくらんでいる事に気づきました。
隱士良寬這天從村裡回廟、發現雨簷底下的板子有點突出。
「おや? どうした事だ?」
這就想曉得這其中名堂。
不思議に思った良寬が床下をのぞいてみると、なんと床下から一本の竹の子が生えていて、床を下から押しているのでした。
幫板子掀開、看到底下一根突起的竹子幫木板抵到的。
「ああ、これは大変だ!」
良寬過就心系這竹子。
良寬は急いで物置へ行くと、のこぎりを持ってきました。
走到雜物房取了點傢伙。
そして、そののこぎりで竹の子を切るのかと思えば、なんと良寬は竹の子の真上の床を四角く切り抜いたのです。
不是為了自己的地板割竹、而是為了竹子下了板子、正正方方的一個孔洞這就幫竹子開出來了。
「これでよし。きゅうくつな思いをさせてすまなかったね。さあ、竹の子さん。遠慮はいらんから、ずんずんと伸びなされよ」
這木板是死的、但竹子是活的、良寬想的也就是這麼簡單。
良寬とは、こんな人物だったのです。
以上就是良寬的為人了。
さてこの竹の子は、それからも毎日すくすくと大きくなりました。
這就講這竹子是越來越高。
「がんばれ、竹の子さん」
良寬也就是放到別個長。
良寛は、毎日大きくなる竹の子を見て大喜びです。
看竹子是越來越大橷、自己反而還得意起來了。
でもそのうちに、
「いや、これはどうしたものかのう?」
但是有天就又犯難了。
何と竹の子は、天井に届くまで大きくなってしまったのです。
因為竹子已經生到雨簷了。
「天井を切れば雨がもるし、かといって、竹の子を切るのも可哀想だ。天井と竹の子、どっちが大切かと言うと」
這總不可能幫屋簷也開個口讓屋門口漏雨吧、又捨不得自己屋簷、但又可惜砍了竹子。
ちょっと考えた良寛は、物置からのこぎりとはしごを持ってくると、竹の子の周りの天井を四角く切り抜いてやったのです。
想半天、搬來梯子跟傢伙下屋簷了。
「さあ、もう安心じゃよ。竹の子さん、がんばれよ」
這就竹子又可以長啦。
おかげで小さかった竹の子は、立派な竹になりました。
一開始被卡在板子底下的小小竹、這一下變的好高好高。
でも雨が降ると天井の穴から水が入ってきて、お寺の床は水びたしになってしまいます。
但是雨水從屋簷的孔洞流落來、幫下面地板都漚爛完了。
それでも良寛は満足げに、
但是良寬想爛就爛、反正遲早都要爛的、自己有天也要爛。
「なあに、雨でぬれた床は拭けばいい。それより竹さんが、雨をあびて喜んでおるわ」
地板溼了反正可以擦、但是竹子砍了又何苦為難自己繼續种啦。
と、言ったそうです。
這想法也是奇了去。
良寬(りょうかん)は、越後国(えちごのくに→新潟県)の名主の息子に生まれ、俳人でもあった父の影響を受けて、書や和歌、漢詩で名を広めた人物です。
良寬、生越後國望族、詞人、受其父影響、通漢文和歌。
この良寬は人付き合いが苦手で十八歳で出家したのち、約三十年もの間、全国を旅しながら修行を続け、そしてその後は故郷の近くの山寺で暮らしました。
不善言談、十八出家、後各地行踋、後至故里山寺終老。
これは、その良寬が出雲崎(いずもさき→新潟県三島郡)の山寺に住んでいた頃のお話です。
這還是良寬當時到出雲崎廟裡修行時發生的事。
おしまい
结束
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