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7月31日の日本民話
(7月31日的日本民間故事)
豊田佐吉のはたおり機 (健全普通話版)
豐田佐吉的紡織機
・日本語 ・日本語&中国語
今では世界のトヨタとして、多くの自動車を作るトヨタ自動車株式会社ですが、これはそのトヨタが誕生する前の、初めの初めのお話しです。
雖然現今的豐田汽車公司是作為一所在全球各地也都是極具著規模的大型汽車製造企業、可今天所要說的這個故事、則是關於人家的前世今生、這還是豐田尚誕生時所發生的一系列插曲。
むかし、遠江(とおとうみ→静岡県)の山口村に、豊田佐吉(とよださきち)という、貧しい大工の息子がいました。
在很久以前的遠江山口村、在這裡、身為一名貧困木匠孩子的豐田佐吉。
まだ小学校を卒業したばかりの十二才ですが、佐吉は家計を助けるためにお父さんの仕事を手伝いするようになりました。
就在人家小學才剛剛畢業的十二歲這年、因為家中的這個特殊原因、就給老爸安排上了來自己手底下幹活、以此減輕整個家中的負擔。
ある日の夜遅く、はたおりをしていたお母さんが佐吉にたずねました。
現在鏡頭一轉、當時間又來到了某一個很晚的深夜、即便就是這個時候、家中的母親還是在很辛苦的編織著線條呢、突然、母親轉向了佐吉並朝著他這樣問道。
「おや? 佐吉。どうしたね。また、お父さんにしかられたか? お父さんは、きびしい人だからね。でもね、つらくてもがんばるんだよ。お父さんは、お前を立派な大工にしたいんだからね」
誒呀?佐吉、你今天是有發生了甚麼事嗎、難不成又是給你的父親給教訓了嗎?我知道你的父親那可是一個很嚴苛的人呢、跟著他幹活難免的就會吃上很多的苦頭、但我不準你生氣、因為你的父親與我一樣都想著你以後能成為一位了不起的男子漢呢。
そう言うお母さんの手は、バッタン、バッタンと、はたおり機を忙しく動かしています。
就在母親跟兒子說著這話的時候、自己那手上操縱著打線機的噼裡啪啦聲可還是一刻都沒停過呢、由此可見、其實母親根本一點就不閒。
それをしばらく見ていた佐吉は、お母さんにたずねました。
面對母親的質問、佐吉是片刻未語、反倒還就是那麼繼續呆然的凝視起了正在打線的母親、好一陣過去、佐吉開了口。
「ねえ、それって、一日に、どのくらいおれるの?」
媽、我問你、這玩意兒一天下來它的產量能有多少呀?
「ああ、これかい。そうだね、頑張っても、一尺(いっしゃく→三十㎝)ぐらいかねえ」
嗯嗯、你說這個呀、若是好好用心的去打不偷懶的話、手快的話一天一尺布都能夠紡出來的呢。
お母さんは、にっこり笑って答えましたが、なんだか、とても疲れている様子です。
母親對兒子說出了此話時臉上是露出了甜美的微笑、可在兒子的眼裡、那卻就只是強忍著笑意的疲容而已。
(お父さんや僕の仕事は、夜になると終わるけど、お母さんは朝から夜中まで一日中だ。何とか工夫して、お母さんに楽をさせてあげたいな)
(我跟著我爹、光是我兩這就要從早幹到夜、回到家後、我媽竟然是還要再加班到大半夜、這一天天的、不行、我得要想個法子幫媽她也減輕減輕負擔呀、不然這苦日子過著根本就開心不起來)
佐吉はそう思いながら、はたおり機の動きをじっと観察しました。
此刻的佐吉是又再次默了起來、而心中則是在默默的盤算起了這打線機的構造、細心的又繼續觀察起了打著線的母親。
(手を、上に、下に、左に、右に。・・・なんだ。布をおるのは意外と簡単だな。これを自動で出来れば、もっと簡単に、もっとたくさんの布がおれるかもしれないぞ)
(手、上下左右、…………原來如此、我明白了、這玩意兒根本就一點不難、甚至可以說還有相當大的改良空間、若是我能有那個本事能可把它改良成完全是自動的程度、想要不費功夫的就能產出大量的布匹那也不是完全的沒有可能)
手先が器用で、大工としてもなかなかの腕前だった佐吉は、その日からはたおり機を改良して、なんと自力で、足ぶみ式のはたおり機を作りあげたのです。
也是說日後的佐吉憑藉著這自己手上的紮實的木匠技藝、研究並改造起了紡織機、僅憑著自力的結果、不多久、一台半自動的腳踏式打線機還就真給他是搗鼓出來了。
「どう、お母さん」
媽、你來試試看這玩意兒。
佐吉が作ったはたおり機を動かしたお母さんは、びっくりです。
接下來發生的事可就讓佐吉的母親那是大為的驚訝呀。
「えー、これは前よりずっと楽だし、たくさん布がおれるわ。佐吉、ありがとう」
天啦、這一下子那就可比以前是輕鬆了太多呀、而且這就連布匹的產量也是颼的一下就上去了、媽媽真是太謝謝你、佐吉。
「えへへ。こんなのはまだまださ。もっともっと改良して、自動で布がおれるはたおり機をつくってやるよ。僕の夢はね、このはたおり機で、お母さんも、村のみんなも、そして日本の人たちみんなを、もっと楽にすることさ」
嘿嘿嘿、這還才是初步的試驗型號呢、我想的是要把它一直改良到最終的全自動階段、到了那個時候紡織機它就可以自己織布了、然後我的夢想就是最終做出這台機器讓母親你先用上、再來就是全村、最後一直到全日本的各家各戶、我想讓大家都可以是變得輕鬆快樂起來。
その言葉通り、佐吉は足ぶみ式のはたおり機を何十年もかけて改良していき、ついに六十才の時に、完全全自動の『豊田式自動はたおり機』を完成させたのです。
之後呢、也就是確實如同佐吉他所說的一樣、佐吉將自己原先的那台踏踏式紡織機、持續的耗費了自己下半生數十年的時間與精力、待到了自己也都已是六十歲之年、那個當年擬訂的全自動念想可就終於是給自己完成了呀、而這也就是後來的『豐田自動式紡織機』。
これは、日本が世界に誇る大発明です。
想當然的、這也成為了一項日本震驚世界的大發明。
その後、佐吉は『豊田式自動はたおり機』の特許権を売った資金で息子に国産自動車の開発を始めさせました。
而後的佐吉也是因『豐田自動式紡織機』的知識產權為自己是創造了大量的財富、也正是因為這筆財富、才能使日後的佐吉在面對兒子表示有了要開發國產汽車行業這麼一個龐大目標時給與了其莫大的支持與資金上的援助。
これが現在のトヨタ自動車株式会社の始まりなのです。
好啦、那麼關於豐田汽車的前世今身也就是以上這些啦。
→ トヨタ自動車株式会社 おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
豊田佐吉のはたおり機
打線機
今では世界のトヨタとして、多くの自動車を作るトヨタ自動車株式会社ですが、これはそのトヨタが誕生する前の、初めの初めのお話しです。
這就講汽車這條牌子豐田、他是如何起業的、以及他的前身。
むかし、遠江(とおとうみ→静岡県)の山口村に、豊田佐吉(とよださきち)という、貧しい大工の息子がいました。
到好久以前的遠江山口村、就有條木工他兒喊豊田佐吉、當時的木匠不像現在、連條辛苦錢都㫘得、也就條臭要飯的。
まだ小学校を卒業したばかりの十二才ですが、佐吉は家計を助けるためにお父さんの仕事を手伝いするようになりました。
到學校讀書吧、也㫘讀出條甚麼碌頭、看老師也就那尸囟日(U+21CAE)樣子、同班一個個都蠢了個卵脬翻天、回去跟自己老頭學點手藝搞個幾年都比這條強。
ある日の夜遅く、はたおりをしていたお母さんが佐吉にたずねました。
這就不去讀書了、媽到屋裡打絲線就跟兒扯談。
「おや? 佐吉。どうしたね。また、お父さんにしかられたか? お父さんは、きびしい人だからね。でもね、つらくてもがんばるんだよ。お父さんは、お前を立派な大工にしたいんだからね」
問老頭這幾天打他吧、屋裡老頭惡、有事㫘事就用木棍棍幫佐吉打一餐飽的、但媽就只是要兒莫去逆忤、一直跟到老頭、他也不得真的害你。
そう言うお母さんの手は、バッタン、バッタンと、はたおり機を忙しく動かしています。
媽這就邊打機子上的線邊扯。
それをしばらく見ていた佐吉は、お母さんにたずねました。
兒看媽打到絲線、直接幫話題一拐。
「ねえ、それって、一日に、どのくらいおれるの?」
講這打上一天線可以出好多。
「ああ、これかい。そうだね、頑張っても、一尺(いっしゃく→三十㎝)ぐらいかねえ」
媽就講差不多有塊帕子那麼長。
お母さんは、にっこり笑って答えましたが、なんだか、とても疲れている様子です。
媽這就笑、但是兒看到只是覺得媽蠢、搞這事吃虧又不討好。
(お父さんや僕の仕事は、夜になると終わるけど、お母さんは朝から夜中まで一日中だ。何とか工夫して、お母さんに楽をさせてあげたいな)
與其織一輩子線、有這麼多的時間一台紡織機難道都造不出來啊、這事要是換佐吉手上絕對不得作。
佐吉はそう思いながら、はたおり機の動きをじっと観察しました。
兒這就看到機器運動的規律。
(手を、上に、下に、左に、右に。・・・なんだ。布をおるのは意外と簡単だな。これを自動で出来れば、もっと簡単に、もっとたくさんの布がおれるかもしれないぞ)
發現簡單了個卵脬翻天、就想自己改良一下算了。
手先が器用で、大工としてもなかなかの腕前だった佐吉は、その日からはたおり機を改良して、なんと自力で、足ぶみ式のはたおり機を作りあげたのです。
自己本來就是木匠、又因一眼就窺出其關竅、也是講搗鼓了那麼一陣、這一條半自動的腳踏式打線機就出來了。
「どう、お母さん」
佐吉が作ったはたおり機を動かしたお母さんは、びっくりです。
兒這就快喊媽試二下。
「えー、これは前よりずっと楽だし、たくさん布がおれるわ。佐吉、ありがとう」
雖講還是要站條人、重複的作業還是㫘變、至少產量變多可以早收工了。
「えへへ。こんなのはまだまださ。もっともっと改良して、自動で布がおれるはたおり機をつくってやるよ。僕の夢はね、このはたおり機で、お母さんも、村のみんなも、そして日本の人たちみんなを、もっと楽にすることさ」
輕鬆比以前比還是輕鬆、但本質還是㫘變、這幫人變成機器打一輩子線、就等同是廢了一條人、佐吉就想這世上還有千千萬萬的打線人、又和機器又甚麼區別啦、這就也想這些傢伙變成人、解放他們。
その言葉通り、佐吉は足ぶみ式のはたおり機を何十年もかけて改良していき、ついに六十才の時に、完全全自動の『豊田式自動はたおり機』を完成させたのです。
這就終於到了六十歲、全自動的打線機就出來啦、這過就只要一個人稍微看下子就可以了。
これは、日本が世界に誇る大発明です。
這過就是世間僅有。
その後、佐吉は『豊田式自動はたおり機』の特許権を売った資金で息子に国産自動車の開発を始めさせました。
後面也是講申請了專利、突然手上出來了用不完的錢、兒又對著汽車情有獨鍾、幾噸錢往上面一礃。
これが現在のトヨタ自動車株式会社の始まりなのです。
過就變成現在的豐田汽車公司了。
おしまい
结束
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