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11月24日の日本民話
(11月24日的日本民間故事)

甚五郎(じんごろう)と新田井(にったい)せき
獻忠客
・日本語 ・日本語&中国語
江戸時代、但馬(たじま)の豊岡(とよおか)と、出石地方(いずしちほう)の田んぼは、井せきをつくって、そこから水を引いていたそうです。
江戶時期、但馬豊岡、出石地方的這片水田就講準備規劃、要造堰引水了。
その水によって、その年の稲作の良し悪しが決まるので、水の確保はとても大切でした。
等於就是建條大壩幫水蓄到、再幫大壩的水往水田裡面送、田裡面這水穩到了收成也就定了。
新田井(にったい)せきもそのひとつで、井せきをせき止めする日には奉行まで出てきて、不公平が無いように監督をしていたといわれています。
此事也是講關係重大、不容有失、動工當日當地管事的奉行是親自上陣、幫這案子穩好起來。
そのため井せきのほとりには番小屋までつくられて、夜も昼も厳重な監視が続けられたのです。
第一件事是先吩咐幫這水庫邊上起條哨點、無論白天黑夜反正一定是要有人看到。
ところが、ひとつ困った事がありました。
但這堵了上流的河川、下流過就有案子了。
新田井せきが止められると水かさが増すので、伊豆村(いずむら)は水につかってしまうのです。
水庫為了蓄水、這就使原本不可能到達的水位變成了可能、水著這麼一堵、再下個大雨一潽、原本是要流去下流的水㫘了去處、這下過全部涌去伊豆村了。
村人たちは毎年のように役人にかけあうのですが、いっこうに取り合ってはくれません。
等於就是樓上的傢伙地板泡水、自己的天花板也過稀爛了、被淹了個這麼幾回、下流村子裡面的人這就天天去述苦情啦、每年都去、但每年都是不瞭你。
そんなある日の事、この村の百姓で甚五郎(じんごろう)という男が、何を思ったのかサンダワラ(→わらで作った米俵のふた)を持って川へ出かけて行きました。
直到有天、出來了個喊甚五郎的奇人、幫屋裡的米簍蓋子一提、往水庫去了。
その頃、新田井せきでは相変わらず番人が、厳しい監視を続けています。
當時的水庫還是嚴防到的、過來是搞甚麼的、都要幫你盤問的清清楚楚才讓放行。
すると上流の方からサンダワラが流れて来て、水をせき止めてある土俵にあたったのです。
這就視角轉到水庫站哨這官差身上、過就看到了條米筐蓋蓋從上流漂落來了、撞到這堰水的水泥袋子上面。
するとわらで作られた軽いサンダワラなのに、土俵がくずれて水が流れ出したではありませんか。
但你莫講、怪事、這麼輕輕的一個草蓋卻是幫堵河的沙石袋子擠出了一個縫隙、讓水開始漏了。
番人は、びっくりです。
哨兵這一下人急了。
そしてそのサンダワラは、来た道をさかのぼって、上流へと帰って行くではありませんか。
又看到這次米蓋蓋是從來的路上逆流而上、準備又漂回去了。
「サンダワラが、流れに逆らって上流へ行くとはおかいしい。・・・さては!」
怎麼可能啊!?這他媽還可以倒回去啊?
番人は鉄砲をとると、サンダワラめがけて、
ドスン!
と、撃ちました。
官差不管了、直接是火銃一鳴。
すると、川の水はみるみるまっ赤に染まって、サンダワラを頭にくくりつけた甚五郎の死体が浮いたのです。
槍響、一片河紅完了、這就看到河底下腦鬠上面頂到條米蓋子的甚五郎屍體浮上來了。
知らせを聞いて駆けつけた村人たちは、
村民後面得了消息也是聞訊趕來
「バカじゃのう。下へ流れていれば助かったのに」
と、いいながら、村のために死んだ甚五郎に涙したのです。
一邊哭一邊為五郎感到不值、講他蠢、要是直接就順到水流漂落去不就㫘事了啊。
その後、村では甚五郎を手厚くとむらい、毎年うら盆がくると、田んぼに美しいまんとうの火がともされるのだそうです。
也是講五郎失了這條命是為了村子、就一起出錢幫別個厚葬了去、又到了每年的中元節、為紀念五郎就到田中燃起熊火。
おしまい
结束
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