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11月17日の日本民話
(11月17日的日本民間故事)
夫婦 (健全普通話版)
夫妻
・日本語 ・日本語&中国語
むかしむかし、言い伝えによると人間は、夫婦が背中合わせにくっついて生まれてきたそうです。
在很久很久以前、據說原始的人類、是男女一體背靠著背而生。
ある日の事、大勢の人間たちが集まって、神さまにお願いしました。
然後就於有一天呀、人類的族群是一起跑到了神明大人哪裡去進行請求了。
「神さま。わたしたち夫婦は、背中と背中とがくっついているので、夫婦でありながら女房や夫の顔を見る事が出来ません。どうか自分の女房や夫の顔が見られるように、背中を割っていただきたいのです」
天神呀天神、我們這些人類的夫妻、背靠著靠連在一起、雖說天生下來就是一對夫妻、可那有丈夫一輩子也看不到自己的妻子、妻子一輩子看不到老公的這個道理呢、還請您幫助我們使其讓後背分開、讓大家都能得以相見吧。
すると神さまは、
於是乎神呀
「なるほど、それは、もっともな事じゃ」
原來如此、我都沒有想到過還有這個問題呢。
と、夫婦のくっついた背中を割ってくれたのです。
神呢、這就也依了眾人願望把夫妻連在一起的後背給分開了。
こうして夫婦の背中が一斉に割れたのですが、普段から顔を見ていない二人ですから、一度見失うと誰と誰が夫婦だったのか、分からなくなってしまいました。
可這樣一來、立馬就又是出現了新的問題、因為神是同一時間分開了所有的人類夫妻、所有說呀、現在在神面前的一大群人都懵了、畢竟自己從來都沒有跟自己的老公或妻子見過一次面呢、眼前這麼多人山人海、究竟誰才是自己原本的哪一位呢?
そこで人間たちは困ってしまい、また神さまにお願いしました。
所以說呀、為難的人類們是又懇請起了神明的幫助。
「願い通り、背中を割ってもらいましたが、今度は誰が夫婦の片割れであったのか、見分けがつかなくなりました。何とかして下さい」
還請在幫我們的一個忙吧、雖然說現在大家能夠得以相見、可誰是誰的另一半這事、我們卻是完全不能夠分清、拜託還請天神給我們明示。
すると神さまは、
就這樣、天神大人他呢。
「それでは、お前たちに愛という力を与えてやろう。外見や目先の利益にこだわらずに、その愛を信じて相手を探せば、必ずや、夫婦として生まれた片割れを見つける事が出来るであろう」
那就這樣吧、我就再賜予你們一個新的能力、那就是愛的力量、你們就只管憑藉著這個愛的直覺、不要被眼前的容貌還有利益所惑、這樣一來呀、愛的力量定能是給你指引出原本的另外一半呢。
と、人間に愛という力を授けてくれたのです。
神說完、這就給人類是賜予了愛的力量。
人間は、時には外見、時にはお金や地位などの利益に目がくらんで、愛という神さまから頂いた力を使わずに夫婦となる人がいますが、それでは末永い幸せを手にする事は出来ません。
人類呢、很多時候會被給對方的容貌地位金錢所惑、這個時候呢、維繫兩人之間的關係也許就並不是愛、雖然最後也是能夠結成夫妻、但是這並不是一段可以維持的很長久的有保證的幸福。
外見や利益に惑わされず、愛という力を信じて夫婦として生まれた片割れを見つければ、必ずその二人は、末永い幸せを手に入れることが出来るでしょう。
不對人家的外表於財富所迷惑、就相信著愛的力量的話、這樣一來找到了本來就是屬於自己另一半的那對夫妻、兩人之間一定是可以獲得一段永久的幸福呢。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
夫婦
背靠背
むかしむかし、言い伝えによると人間は、夫婦が背中合わせにくっついて生まれてきたそうです。
這就講以前這所有人都是連體嬰兒的遠古時代、當時男女同為一體、女的長男的後背上、你看不到我、我看不到你。
ある日の事、大勢の人間たちが集まって、神さまにお願いしました。
就因這事、神仙那裡是人聚滿了、哭到求。
「神さま。わたしたち夫婦は、背中と背中とがくっついているので、夫婦でありながら女房や夫の顔を見る事が出来ません。どうか自分の女房や夫の顔が見られるように、背中を割っていただきたいのです」
講神仙啊、我們這人造的有問題啊、這背靠背、你看不到我、我看不到你、明明是一対夫妻、硬是甚麼地方有問題啊、你看哪條動物是這條樣子的咯。
すると神さまは、
「なるほど、それは、もっともな事じゃ」
你們講的對啊!這我怎麼就㫘想到了、我還講包你們個婚配怕你們絕种哦。
と、夫婦のくっついた背中を割ってくれたのです。
別個提出這意見、神也不管了、逽不到堂客是你們自己的事、這就幫男的背上的女的過分了。
こうして夫婦の背中が一斉に割れたのですが、普段から顔を見ていない二人ですから、一度見失うと誰と誰が夫婦だったのか、分からなくなってしまいました。
但這一分又出大案子了、㫘分之前曉得自己堂客就到背上、但是分了之後從來㫘見過面的兩人又怎麼曉得哪個是哪個啦。
そこで人間たちは困ってしまい、また神さまにお願いしました。
這就又問神要怎麼解決這案子啦。
「願い通り、背中を割ってもらいましたが、今度は誰が夫婦の片割れであったのか、見分けがつかなくなりました。何とかして下さい」
就講現在逽不到自己的原配啦、不僅我不曉得、別個也不曉得、這樣怎麼認哦?
すると神さまは、
「それでは、お前たちに愛という力を与えてやろう。外見や目先の利益にこだわらずに、その愛を信じて相手を探せば、必ずや、夫婦として生まれた片割れを見つける事が出来るであろう」
神就講不要在乎哪個是你的堂客、而是你想不想別個當你的堂客。
と、人間に愛という力を授けてくれたのです。
這就喊所有男的各自逽媽、認為不是那就不是、認為是那就是了。
人間は、時には外見、時にはお金や地位などの利益に目がくらんで、愛という神さまから頂いた力を使わずに夫婦となる人がいますが、それでは末永い幸せを手にする事は出来ません。
血緣啊親情啊聯繫而來的關係是淡弱的、無非只是將兩個完全不相干的人強制綁定到一起、父母也好兄弟姐妹也罷、講白了只是最不為重要的一群、拆散了血緣關係你們還剩落來甚麼?因血緣而維繫的關係、自然因血緣而消散、幾世後你們也許不再是父子、又怎麼還有瓜葛啦、況且這天讓被你手刃得殺父仇人當你親爹還債也是常有。
外見や利益に惑わされず、愛という力を信じて夫婦として生まれた片割れを見つければ、必ずその二人は、末永い幸せを手に入れることが出来るでしょう。
人總是希望自己是被特別關照的那一個、非是對所有人的溫柔、而是只對自己一個人的溫柔、但愛、從來是對所有人的溫柔、因親情產生的母愛是扭曲的、一個不會去愛他人小孩的母親是無法去愛自己的小孩的、她只能愛自己、只懂愛自己、還又愛不到自己啦、愛是沒有差別的、是對所有小孩一視同仁的溫柔、即便小兒不是自己的、即便別個自己也㫘得兒、或有、這都無關、能夠愛人的人對任何人付出的愛都是等份的、不去區別你我、因為只有這樣當一切消失之後、你記不得她她記不到你、但她還是她你還是你、你們就算已經互相認不到彼此了、只要相識了兩條人還是可以走到一起、因為聯繫你們的從來不是所謂的血緣、而是他和你、斷了又怎麼樣啦?若是你屋裡人只對自己人好、對外人苛刻、再就回下檔、刷新一下、你這次變成外人、別個還是對自己屋人好、對外人苛刻、你會發現那條人是不是你其實都無所謂、他還是他、你還是你、但這次你們看你們有關係吧啦?他還對不對你好啦?
你看現在好多家長是不是只喜歡自己兒咯、他們為了自己兒好、還要讓其他屋兒吃虧、這種人你是他兒他就護到你、你不是他還要害你、對他而言你是他兒所以你重要、但歸根到底就不是你重要、是他兒重要、所謂的母愛無私其實是最最最最自私的、因為這愛的對象從來不是稚兒、而是他自己啦、若所有的媽只愛自己兒、這就跟所有的兒都死了媽其實㫘得區別的。
おしまい
结束
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