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3月15日の日本民話
(3月15日的日本民間故事)

雑炊橋(ぞうすいばし)
小米粥
・日本語 ・日本語&中国語
むかしむかし、梓川(あずさがわ)と言う川には橋がかかっておらず、川をへだてた村と村はすぐ近くですが、行き来する事が出来ませんでした。
到好久以前、梓河這地方還㫘掛橋、河這邊那邊雖兩條村就連到的、但因渡河不易、雙方就㫘怎麼往來。
そこで二つの村の子どもたちは、お互いに向こう岸の村の子どもたちと川をへだてて大声で呼び合ったり、物を投げたりして遊んでいました。
這就兩邊的小卵日們、隔條河、對到對面的小屁股又是䛥又是掗東西的到那裡鬧。
清兵衛(せいべい)とおせつも、そんな子どもたちで、二人は毎日の様に川をへだてては大声で叫び合いました。
清兵衛和節也是這群小屁股中的一個、每天就隔起一條河對空遊玩。
そして月日は流れて、やがて二人は十六才になりました。
歲月流轉、二條人這就都長大了、到十六了。
ある日の事、雨上がりの空に大きな美しい虹がかかりました。
這天雨後的河面架起了彩虹。
それがあまりにもきれいだったので、おせつは家を飛び出すと夢中で虹を追いかけました。
節就著這條彩虹迷到了、從屋裡跑出去追彩虹去了。
そして谷沿いの道を二里(にり→約八㎞)ほど下ったところにある舟の渡し場で、おせつは同じ様に虹を追いかけてきた清兵衛と出会ったのです。
沿到水源谷地下去了兩里路、到了個擺渡處、跟同樣也是踵到彩虹過來的清兵衛碰頭了。
清兵衛はにっこり笑うと、舟で川を渡っておせつのところまで来ました。
清兵衛看到熟人、過笑到搭船過來了。
「ああ、やっとの事で会えたなあ」
就講這麼久直接見面還是頭一回。
「うん。谷に橋があれば、いつでも会えるのにね」
是啊、要是有橋就不得這條樣子的。
二人は時の立つのも忘れて語り合い、そして二人でうんと働いて、いつか谷に橋をかけようと約束したのです。
二條人就到一起講了好久的話、講就要賺錢幫這兩地的橋過想辦法修起來、一起定了個約定。
「きっと、橋をかけようね」
「ああ、きっとだ」
這就各自保證了。
それからというもの、二人は懸命に働きました。
自這天開始兩條人也開始打工啦。
溝兵衛は山にこもると一生懸命に木を切り倒し、おせつは米のご飯をやめて安いアワに草花を入れただけの粗末な雑炊をすすり、夜遅くまで機(はた)を織り続けました。
清兵衛就上到山裡面倒樹、而節也幫平時吃的大米換成了便宜的小米加些草根甚麼的煮雜燴、到睏覺之前都幫絲線打到的。
こうして二人が約束をしてから九年後、とうとう清兵衛が腕の立つ大工を連れて村に帰って来たのです。
這就九年後、清兵衛幫工人師傅請進村了。
おせつはこの知らせを聞いて、涙を流して喜びました。
節得到了消息、也高興的落眼睛水。
今まで雑炊をすすって機を織って貯めたお金が、やっと役に立つのです。
想自己辛苦這麼多年的錢也是㫘白存、可以派上用場啦。
両方の村人たちも工事に協力して、それから半年後に立派な橋が出来上がりました。
兩邊村子的人也是一起搭手、半年的時間就幫橋起好了。
おかげで二つの村は、いつでも行き来が出来る様になりました。
兩邊的人這也就方便啦。
また橋が出来ると、この橋を渡って山を越える飛騨(ひだ)の道も開かれて、小さな村はいつの間にか宿場(しゅくば)として栄えるようになりました。
自有了橋後、要去飛騨若是經由此橋就方便好多、因為多了過路的人、這地方也過了慢慢作起旅店的生意、繁盛起來了。
人々はこの橋を、『雑炊橋』と呼びました。
橋名也著喊成了雜煮橋。
現在でもこの橋は残っており、十三年毎に、橋は新しい物にかけかえられます。
現在這條老橋也還留到那裡的、每隔十三年也是過去幫它翻下新、維護一下。
そしてその渡りぞめには、両岸からおせつと清兵衛を形どった人形を車にのせて引き渡す行事が伝えられているのです。
等到最後完工通橋的時候、這就自兩岸橋頭的兩邊、一車拉到個清兵衛娃娃、另一邊則是節、讓他們重逢、這麼個通橋儀式。
おしまい
结束
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