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      1月30日の日本民話 
          
          
         
  待ちきれずに 
  京都府の民話 → 京都府情報 
       むかしむかし、京の都の五条堀川(ごじょうほりかわ)に、八郎兵衛(はちろべえ)という米屋がいました。 
   八郎兵衛には宗一郎(そういちろう)という十六才になる息子をはじめ、十人の子どもがいましたが、おくさんは十人目の子どもが生まれてまもなく、病気でなくなってしまいました。 
   ある時、八郎兵衛は子どもたちにるすをたのみ、二日がかりで大津(おおつ→滋賀県)まで、でかけることになりました。 
  「しっかりたのんだぞ。びんぼう米屋で、とられるものなどなにもないが、夜は戸じまりをきちんとな」 
   八郎兵衛は一番上の宗一郎によくいいきかせて、大津へでかけていきました。 
   るすをあずかる宗一郎は、夜になると近所の子どもたちを家によんで、みんなで百物語をはじめました。 
   ですが宗一郎の家には、百本ものろうそくなどありません。 
   あつまった子どもたちは、ろうそくのかわりにあんどんの灯で百物語をはじめました。 
   話しが四十、五十とかたられていくうちに、こわくなった子どもたちは、一人さり、二人さりして、八十話がすぎるころには、近所の子どもばかりではなく、宗一郎の弟たちもほかの部屋へいって、ふとんをかぶってねてしまいました。 
   のこっているのは、宗一郎だけでした。 
   もう十数話かたれば、百になるのです。 
   百の話しをしたあとに、どんな事がおこるか楽しみにしていた宗一郎はがっかりです。 
  (だれもいなくなっては、しかたがない。それならあとは、自分一人でかたってみよう、何が出るか楽しみだ) 
   宗一郎はその前に手あらいにいっておこうと、うら口から出て外の便所(べんじょ)へいきました。 
   そしてどんな話しをしようかと考えながら、家の中へもどろうとしました。 
   すると、うしろから白くてほそい手がのびてきて、いきなり宗一郎の足首をつかんだのです。 
   宗一郎はビックリ。 
  「な、なっ、なにものだ!」 
   するときゅうに生あたたかい風がまきおこって、目の前に赤ちゃんをだいた若い女が現れました。 
  「百物語がおわるのを待っていましたが、どうやら百までかたられそうもないので出てきました。わたしはこの近くへ嫁にきたもので、あなたの家でお米を買ったこともあります。実は五年前、この子をうもうとしましたが、どうしたことかお産のとちゅうで、この子と一緒に死ぬ事になってしまったのです。けれども、だれもわたしたちをとむらってくれません。いまだにこうしてこの子をだいたまま、やみの中をさまよっているのです。どうか、わたしたちが成仏できるように、千部(せんぶ)のお経をよんでください」 
   話しをきいて宗一郎は気の毒だとおもいましたが、けれども千部のお経をよめとは大変な事です。 
  「話しはわかりましたが、そんな事はとてもできません。わたしの家はまずしい米屋で、まだ小さなものがたくさんいます。そのめんどうをみたり、家や店のしごともあります。千部のお経をよむひまなど、とてもありません。ですが毎日、母に念仏をとなえていますので、それと一緒ではだめでしょうか?」 
   宗一郎の言葉に、赤ちゃんをだいた女のゆうれいは首を横にふりました。 
  「いいえ、千部のお経でなければだめなのです。・・・あの、それではそこにあるカキの木の根もとをほりかえして下さい。わたしが少しずつたくわえたお金があります。それをさしあげますから、どうか千部のお経をよんでください。お願いです」 
   そういうと、赤子をだいた女のゆうれいは姿を消してしまいました。 
   次の日、父親の八郎兵衛がもどってくると、宗一郎はすぐに昨日の話しをしました。 
   そして父親と二人でカキの木の根もとをほってみると、本当にお金が出てきました。 
  と、いっても、お金はとてもわずかなもので、くらしのたしなどにはなりませんが、八郎兵衛親子はそのお金をありがたくいただくと、ふしあわせだった若い親子のために、お店を休んで千部のお経をよんでやりました。 
   この事があってからか、八郎兵衛の米屋はとてもはんじょうして、この辺りでは一番大きな米屋になったという事です。 
      おしまい 
                 
         
        
        
       
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