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    福娘童話集 > きょうの日本昔話 > 10月の日本昔話 > 六つの「子」の字 
      10月9日の日本の昔話 
          
          
         
  六つの「子」の字 
       むかしむかし、嵯峨天皇(さがてんのう(在位809〜823))が国をおさめていたとき、都の御所(ごしょ→てんのうのすまい)のちかくに、だれがかいたものか、こんな札がたてられました。 
  《無悪善》 
   人だかりがしているので、みまわりの役人たちが、わりこんできました。 
  「どけ、なにごとだ! むっ、・・・?」 
  「お役人さま、いったい、なんとかかれておるのですか? よんで、おきかせください」 
   人びとにたずねられて、役人はすっかりよわってしまいました。 
  「『無、悪、善』・・・こ、これはだな、むずかしゅうて、わしらにゃ、チンプンカンプンじや。みかど(てんのう)に、じきじきにお目にかけよう」 
   役人たちは、たて札をひきぬくと、みかどにとどけたのですが、みかどにもよめません。 
   そこで、おかかえの学者たちが、御所によびあつめられました。 
  「これは、なんとよみ、どんないみじゃ」 
   みかどがたずねましたが、学者たちは、 
  「はて?」 
  「さて?」 
  「はてさて?」 
  と、かんがえこむだけで、こたえられません。 
  「なんとも、ふがいない。それでも学者か」 
   みかどがなげくと、学者のひとりが、 
  「学者で、書の名人でもある小野篁(おののたかむら)ならば、よみとけるかもしれません」 
  と、いったので、さっそくつかいがだされました。 
   御所にまねかれた、たかむらは、みかどにねんをおしました。 
  「よみとくことはかんたんですが、ありのままによんでも、よろしいのですか?」 
  「よいから、はようにもうせ」 
  「では。・・・これは、『悪』から『無』にもどり、『善』を、おわりによむのです。『悪』は、さがとよみ、『無』は、なくば、『善』は、よい。つまり、《さがなくばよい》。さがてんのうが、いなければ、世のなかが、もっとよいのに。と、いう、なぞかけことばにございます」 
  「な、なにっ! わしがいなければよいじゃと!」 
   みかどは、あおすじを立てて、たかむらをにらみつけました。 
  「おかかえの学者たちが、だれ一人読めないのに、おまえはやすやすとよみといた。と、いうことは、おまえが書いたにちがいない! おまえは島流しじゃ!」 
   島流しとは、ざい人を、はなれ島に流して、そこから一生、でられなくするけいばつです。 
   すると、たかむらがつぶやきました。 
  「学問をつんだばかりに、いわれのないつみをかぶろうとは、世もすえだ」 
   これをきいたみかどは、 
  「なに! おまえの学問がどれほどのものか、ためしてやろう。しばらく、まっておれ!」 
   みかどは、おかかえの学者たちに、文字のなぞなぞをつくらせました。 
  「これで、いかがでしょう?」 
   出された文字は、《子子子子子子》でした。 
  「・・・? これは、なんとよむ?」 
  「はい、子(ね)子(この)子(この)子(こ)子(ね)子(こ)。『ネコの、子の、子ネコ』で、ございます」 
  「なるほど、よく考えた。いかにたかむらでも、これは読めまい」 
   みかどはさっそく、このもんだいをたかむらにつきつけました。 
  「これがよめれば、島ながしはゆるそう」 
  「わかりました。これは、『ネコの、子の、子ネコ』です」 
   たかむらは、いともかんたんに答えました。 
  「むっ、むむむ、正解じゃ」 
   くやしがるみかどに、たかむらは言いました。 
  「みかど、この《子子子子子子》には、じつは、別の読み方があるのです」 
  「ほう、なんとよむのじゃ?」 
  「子(し)子(しの)子(この)子(こ)子(じ)子(し)。つまり、『獅子(しし)の、子の、子獅子(こじし)』で、ございます」 
  「うむ、あっぱれ。おまえこそ、ほんとうの学者じゃ」 
   みかどは、つみをとりけして、たかむらに、たくさんのほうびをとらせたということです。 
      おしまい 
                 
         
        
        
       
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